私は友人に本当に恵まれて居るのですが、偶にしか会うことが出来ない才女、みぽりんは大好きな人のうちの一人。彼女と最近とてもいい話しができたので、備忘録とすぐ揺らいでしまうわたしの心の弱さを正す為、また決意の為に書き止めておこうと思いました。
東京、大阪、京都、神戸…出張も含めて私には生徒さんがおります。
だいたいの方が私の演奏を聴いてくださった方で、やってみたい!と思ってきてくださってる方がほとんどです。
その中の一人の生徒さんの元同居人であり友人がみぽりん。
先日、みぽりんに教室運営について色々と相談するうちに、私個人がとても興味深く聴いたお話。
「ものを習いに行くって単純な上達だけではなくて耳を育てる事なのよ。だから教える立場の人は耳を肥やしてあげないといけないんだろね。」
あたりまえのことなのだろうけど、私には目からウロコでした。
みぽりんは笛を習っている、彼女は笛を仕事にしたい訳ではなく、趣味、手習いとしてやっている。
吹始のころは、音が鳴るだけで凄いとかんじたし、誰が吹いても凄いと感じていた。
少しずつ自分が上達してくると、上手な人が分かるようになっていった。耳が肥えてきたと感じた。
単純にお客として笛の音を聞きに行こうと思う人は少ないと思う。でも、習っていると、聞きにいこうと思えるし、興味が持てる。習っていると自分の上達に合わせて先生方の素晴らしさがより一層わかったりする。習い事の醍醐味は耳が肥えること。弟子としてだけでなく、お客さんとしても育つということだと彼女はいった。
あぁ、なるほど、私も心当たりがある。
特に伝統音楽なんてジャンルは耳が慣れてないと楽しめないのかもしれない。
出会うもので印象も変わってしまい、続けて聞こうと思えないかもしれない。
今回彼女と話したことで、私は先生業として、お弟子さんの耳も育て、音楽を本当に愛する愛好家を育てて行かなければならないんだなと、使命感のようなものをかんじた。
勿論その愛好家には私も含まれるので、私ももっともっと他所で学ばないといけないのだが。
私も意地がよくないので「人がいいって言ってるから好きなだけじゃん」とか、「お祭りが好きなだけでフェスに」的なシュチュエーションにイライラしてしまうこともあったのだけど、全てが繋がった気がした。
悪口のつもりはサラサラなく、
勿論音楽に正解不正解はなく、単なる好みだけれど、「知る」喜びを共有出来る人を増やしていく事が私の教室の軸になるのかもしれないなと感じました。
わたしの生徒さんに長く電子音楽でDJもイベントで嗜んだりする方が先日のお稽古でポツリと、
「箏やばくないですか?めちゃくちゃ難しくないですか?この間久々にイベント行って思ったんです、もともとあるものをツマミを回してるだけでそれっぽく聞こえちゃうから、私のやってきたことは簡単なことだったって。箏って、自分の手でなにかを弾くってめちゃくちゃ難しくないですか?」
と大真面目にいわれて、笑ってしまった。
いや、それはそれでセンスを求められるからめっちゃ難しいよ!とつっこみつつも、
あ、もしかしたら一人、箏をきく耳を育てることができたかもしれないとおもったのでした。
後進育成、それは一方通行でなく、お互いが豊かになるものが望ましい。
これが今の私の答えですね。
Comments