ヒロエのできるまで

産まれてからこれまでの出来事。
1985年6月3日

1985年6月3日、

そうめんの揖保の糸、

ヒガシマル醤油、そして皮革産業で栄える、兵庫県龍野市に産まれる。

龍野ってすごいとこなのよ〜

産業もあるけど、哲学者の三木清さんやら、誰もが知ってる赤とんぼの歌作った詩人の三木露風さんやら、今の東大の寮歌つくった矢野勘治さんやらが出身なんよ〜

 

父は尺八、母は箏、姉と兄も両方、

気がついたら弾くようになる環境であった。

2歳頃は2度ほど階段落ちを経験しており、

この頃、水色とも緑ともつかない、微妙な色のパンツを所持しており、

それが大のお気に入りだった記憶がある。

ちなみにこのパンツ一丁だったときに階段落ちしている記憶もある。

 

幼少期

​​
既に根暗さんを発症しつつも、人生最大のモテ期を使い果たした時代。

幼稚園の登園中、一人の少年と手をつなぐと他の子たちが泣き出すほどで、

風邪を引いては、家に花や果物が届くほど。

ああ、どうしてこの時に使ってしまったんだ。。。と悔やみきれない。

写真は6つ上の兄と何やら新聞紙で遊んでいる。

この顔とか、娘にそっくりだな。

この頃は自治会のアイドルでもあり、老人会のおじいちゃんおばあちゃん、

近所のおじ樣方から人気であった。

でも幼稚園では人見知りをしていたため、入園してすぐ、後の大親友Tちゃんに声をかけられたときの事をよく覚えている。

醤油飲んでたのもこの頃。刺身についてる魚のチューブに入った醤油をチュウチュウするのが大好きで、大人に見つからないようにコッソリ飲んでいた。

あと、ものすごい量の牛乳飲んでた気がする。

好きな食べ物は赤身のマグロと煮付け、竹の子とワカメ炊いたやつが好きだった。

あと大葉。大葉に関しては、幼少期にひどい事件を起こしている(笑)

それは、ひ・み・つ♡

小中学生時代

​​
人生の中で、この時期が一番よく練習していたんではないかと感じる。学校から帰ると、友達と遊びにいくより、集まってくる母の生徒さんたちと合奏練習する方が面白かった。

練習後の外遊びやら、ひたすら無言、大勢で漫画読み続けたりが楽しかった。わたしはもっぱら岡田あーみんに取り憑かれていた。未だに読み返す。

 写真は小学生のころのコンクール予選後の夜である。

あほみたいになにやってたかは不明。

 この頃はやせ過ぎと講評される事が多く、世の中太ってる方が有利なのか。。と落胆し、毎年長袖でコンクールを受けたりしてたっけな。

  学校では、いたって普通の生徒でございました。

家庭では5歳頃始めた百人一首にはまり、小学校に上がる前に100枚覚え小学生に入ったら、家族と共に、聖地・須磨寺の大会で3位に入賞している。

これだけ書くと秀才っぽいが、その稽古中も、その後の坊主捲りでも白熱しすぎて血まみれになっている(笑)

この頃は、ソフトボール部に所属しており、だぼだぼのユニフォームで素振り。右肩だけは強く、遠投が特技。ソフトボール投げでは県大会に出場(笑)

対する左肩は、とんでもないくらい抜けやすく、フライ球をとろうとして練習中に抜けてしまうことが多々あった(笑)

いまおもえば、なんでタイヤとか引いて走っていたのか謎だ。

衣笠、木村、チェコ、緒方、達川、大好きであった。

勉強の方はど真ん中。

国語と英語だけ異常に点数がよく、その2教科だけならば学年でも上の方の成績だったらしいが、世の中には数学なるものがある為に、ど真ん中まで落っこちるという。。。

基本こういうことばっかり。

水泳も泳げないけど息継ぎに問題があるだけなので、

「息継ぎしません!」と、

25m泳がなければならないテストで息をせずに15m泳いで

先生を驚かせた事もあった。

水泳といえば「男子に見られたくない顔は?」という同級生からの質問に対し、周りが寝顔等とかわいく答えている中、

水泳の息継ぎしてるときの顔と答える。

 

中学時代は特に拗らせ女子に成り下がり、

地味に先生方に心配をかけていた様子。

 

 

 

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