• Morikawa Hiroe

静かである事、怒り続ける事。

静かである事、そして怒り続けるという事が如何に私の芸にとって重要であるかという事を改めて。 先日とある能楽師の若い先生が 『えぐい世界や日本の伝統芸能は!オラが村にイナゴが!とイナゴが大量発生して偉いことになっても舞っとった。偉い人が日本の夜明けぜよ!言うてはっても黒船やぁ!B29やぁ!と日本中が騒いどっても舞っとった。能楽師はなぁ!人に伝えていくことしか考えてこんかったんや!今あるのはその結果や!そういうえぐい世界やねん!』 と子供たちに熱弁を奮ってらして、私は赤べこの様に頷き、ここ最近のテイタラクを神様という名の自分自身に詫びたものの、気圧に負けて、今日も特に張り切る訳でもなかった。

今週末出演する二つのコンサートは両日とも「五段砧」という超絶技巧系古典がプログラムに入っている。 この曲は光崎検校という人が作ったもので、私はこの人が大好きだ。この曲が特に好きだ。

三絃が普及し、三曲なるものが生まれ、伴奏楽器になってしまった箏をなんとか返り咲かせたい!と試行錯誤したり左遷されたり行方不明になったり、忙しい人生を送った方ですが、箏をもう1度…と考える際には悲しみと怒りがあったように察してしまいます。 誰に対してかはハッキリしたものではありませんが、上手くいかない現実に向けてだったり、衰退していく業界に向けてだったり… 私の師匠も含め、使命感をもって仕事をする人に悲しみと怒りは付き物のように思うのです。

…憑き物とも言います(笑)

五段砧にはそういったものが煮詰まった上での心意気を感じる。華やかさ、雅さ、艶やかさ… 因みにこの曲を含めて、わたくしは「色気と艶はちがうんじゃっ!」という類の怒りを古典を弾いてるときに胸で燃やしております(笑)

わたくしも日々、思うこともありますし、SNSは独り言がじゃじゃーっと漏れるのでありますが、 静かに怒り続けること、そして疑問を持ち続ける事がわたしにとっての常なる課題なのだと思います。いつまでそれを燃やし続けられるかも含めて。

騒がずに。 饒舌になるのは、説明を、釈明をしたいと感じているからであって、前のめりが過ぎる演奏をしているなと感じるのです。時にはいいのかもしれませんが、私は前のめりがあまり好きではない。 すかしていたい。いつだって。 必要以上に口角をあげることもしないし、どんな難しいことも涼しい顔をして弾くというのが私の美学であるから。

生存競争の様なものには今迄同様に乗らず、静かに歌っていく所存。

(写真:町田益宏)


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